脱衣所の逆さま女 後編

前回→脱衣所の逆さま女 前編

目を合わせないようにした。

ピクリとも動かないようにした。

極力息もしないようにした。

きっと、体を固めるのが正解なのだ。

「私は石像なんだ、私は石像なんだ」、そう自分に言い聞かせた。

生きた心地はまったくしない。

・・・・何分が過ぎただろうか。

しばらくすると逆さまの女は、地面にドサッと落ちた。

そして、ぐにゃぐにゃと不思議な動きをしたかと思うと、そのまま消えてしまった。

どうやって消えたのか、詳しいことは分からない。

何せしっかりとは見てはいないのだ。

女と目を合わせてはいけない以上、女の動きを目で追うわけにはいない。

女とは違う場所に視線をもっていきながら、意識だけは女に集中させていたのだ。

女が消えてからも、すぐには動けなかった。

・・・・しばらくして気がついたことがある。

濡れた体が恐ろしいほど冷えていることに。

体の冷えに気が付くと同時に、腹部に激痛が走った。

そのまま、その場にしゃがみこんだ。

この状況でお風呂に入り直す気にはなれない。

私は女が消えた辺りの床だけは踏まぬよう注意を払いながら、その場を離れる。

お腹の痛みがひどく、這うようにして部屋に戻った。

すぐにヒーターをつけて布団に潜り込んだ。

体を拭いたり髪を乾かしたりという発想はなかった。

布団の中でブルブルと震えた。

今見たものを思い出さないようにしながら、ブルブルブルブルと震え続けた。

だが思い出さないようにすればするほど、あの女の顔が浮かんでしまう。

体の震えは止まらない。

ヒーターが効いていないのか、一向に温まる気配すらない。

もうこのまま死んでしまうのではないかというくらいの寒さを感じた。

この平和な日本に生まれて、「死」を実感する機会は少ない。

私はその日、生まれて初めて「死」がすぐそばにあることを知った。

結局、布団の中で震えながら一晩中起きていた。

この部屋で電気を消すことはできない。

ましてや、無防備に眠りにつくことも有り得ないことだった。

朝になり世の中が動き出したと同時に、私は実家に電話した。

お母さんの声が聞きたかった。

お父さんに守ってもらいたかった。

家族に本気で助けを求めたのは、これが初めてのことだった。

私が泣きながら実家に連絡すると、両親はただ事じゃないことを察してくれた。

すぐに車で迎えにきてくれた。

両親が幽霊という存在を信じていたのではないと思う。

早朝に電話してきたと思ったら、娘は泣きじゃくっていたわけだ。

その普通じゃないことを、心配してくれたのだと思う。

私はそのまましばらく自家に戻ることにした。

もうあのアパートには帰りたくない。

今でも脳裏に焼き付いて離れないのだ。

あの、焦点のあっていない女の姿が。


彼女はその後、アパートを引っ越したそうです。

今でも寒い季節になると、お風呂に入るのが怖くなると言っていました。

脱衣所に、あの女が出てきそうで・・・・

スポンサーリンク