中学のころ。
俺は父親の仕事の都合で、転校した。
引っ越した先は、ド田舎というほどではなかったが、都会とは呼べないような場所だった。
自宅から中学校まで、自転車で50分。
これは片道にかかる時間だ。
毎日、かなりの距離を自転車で走っていた。
ある日のこと。
俺は、学校の帰り道に無性にトイレに行きたくなってしまった。
立ちションしようかと思ったのだが、人気がないわけじゃない。
ここじゃできないな。
どこか横道に逸れて、立ションしようかと思った。
普段通らない道に入っていく。
なかなか良さそうな場所がない。
そろそろ我慢の限界だ。
ああ、もうここらで立ちションしてしまおうかと思ったその時、公園らしきものが見えてきた。
ラッキーだ。
急いでペダルをこいでその公園に行ってみた。
小さな公園なのだが木がうっそうと生い茂っている。
昼間なのに薄暗かった。
トイレは設置されていたが、さらに薄暗く不気味な雰囲気に見えた。
でも今はそんなことは気にしていられない。
自転車を放り出すように停めると、急いでトイレに駆け込んだ。
ジッパーをおろし、ホッと一息ついた。
間に合った・・・
無事、オシッコが終わると、手洗い場の水道をひねり手を洗った。
鏡越しにトイレ内を見ると、一つだけある個室の扉は閉まっていた。
誰かが使っているようだ。
こんな薄暗い中の個室はさぞ怖いだろうな、なんて思いながら振り返ってみた。
すると、トイレの個室の下の隙間から、手が出ていた。
手だ。
人間の手。
俺は危うく叫び出すところだった。
なんで、こんなところから手が・・・
幽霊かと思って逃げようかと思ったのだが、これがもし倒れている人だったらマズい。
正直なところ怖かった。
だが、個室の前まで行き、声をかけてみる。
「あ・・・あの、だ、大丈夫ですか?」
たぶん、声は震えていたと思う。
返事はない。
もう一度声をかけてみる。
「あの・・・?大丈夫ですか?」
手は、ピクリとも動かない。
血の気のない薄汚れた感じの茶色っぽい手だった。
おそらく男性の手だ。
俺は怖くて怖くて、どうしようもなかった。
とりあえず誰かを呼ぼうと思った。
トイレの外に出て、辺りを見渡すが誰もいない。
さっきまでは人通りが多少あったはずなのに、今は誰もいないのがもどかしい。
その時の俺は、救急車を呼ぶということが頭になかった。
正確に言えば多少はあった。
だが、もし大したことがないのに呼んでしまったら、怒られるような気がしていたのだと思う。
「これは本当にヤバい」と確信が持てない以上、まだ呼んではダメだと思っていたのだ。
誰かを探さなくてはならない。
キョロキョロと、辺りを見回した。
そのとき、メガネをかけた細身の男性が通りかかった。
20~30代だろう。
俺は、おそらく泣きそうな顔で助けを求めた。
その男性は、すぐに一緒にトイレに来てくれた。
きっと、俺の表情から緊迫感が伝わったんだと思う。
だが、おかしいのだ。
個室の前まで行ってみると、個室の下から手が出ていない。
それどころか、個室の扉は閉まっていないのだ。
ドアは開いている。
一緒に来てくれた眼鏡の男性は、個室の扉の裏まで確認してくれた。
「誰もいないみたいだね。」
「そ、そうみたいですね。」
なんだか、俺が嘘をついているみたいで気まずい空気が流れた。
そんな空気を察してくれたのか、眼鏡の男性は明るくこう言ってくれた。
「ま、大したことないようで良かったよ。君は酔っ払いでも見たんじゃない?」
そうだろうか。
俺がさっきの「手」を見てから、おそらく2~3分しか経っていない。
俺は、ずっと公園のすぐそばにいたのだ。
俺に見られることなく、姿を消すことはできるのだろうか。
いろいろ疑問に思ったのだが、誰もいない以上仕方ない。
眼鏡の男性にお礼を言うと、俺も家に帰ることにした。
次の日。
学校が終わり、いつものように自転車で帰っていた。
昨日の公園のすぐそばまで来ると、やけに警察官が多いことが気になった。
そのまま気にせず、自宅に帰ったのだが、家でびっくりすることを聞いた。
なんと、今日、ある男性が亡くなったらしいのだ。
昨日俺がオシッコをした公園のトイレでだ。
トイレの個室で発見されたのだという。
詳しい死因は俺のところまで情報はこなかった。
だが、その後ニュースになっていなかったことから他殺ではないようだった。
俺が前日に見た「手」と何か関係はあるのかもしれないと、考えてしまう。
そう考えると、本気で怖かった。
起きたまま予知夢でも見てしまったのか。
それとも、あのトイレに何かの霊でも憑りついていたのか、詳しいことは分からない。