これは、俺が実際に体験した話。
実家のそばに一本の木があった。
首吊り自殺の名所とも言えるくらいの木だった。
もう、ここで何人もの人間が亡くなっている。
昼間でも薄暗いその木の辺りは人目に付きにくく、自殺するのにはぴったりなのかもしれない。
俺には霊感がないからわからないのだが、霊感がある人がそのそばを通ると嫌な感覚を味わうらしい。
この曰く付き(いわくつき)の木。
実は、実家のベランダから見えるのだ。
距離は少し離れているのだが、昼間ならばっちり見えてしまう。
それが、何とも言えず不気味なのだ・・・
俺が高校2年生のころ。
当時付き合っていた大好きな彼女に、突然の別れを切り出されてしまった。
理由はよく分からないが、急にフラれてしまったのだ。
人生最初の彼女で、本当に好きだった。
フラれた日は、とにかく落ち込んだ。
もう、居ても立っても居られないような感覚だ。
今思えば、心が落ち着かず、情緒不安定状態だったと思う。
とにかく、今は嫌なことは寝て忘れようと思った。
冷静に物事を考えることができないのなら、いっそ眠ってしまうことにしたのだ。
だが、なかなか眠れない。
心を無にしようとしても、彼女のことが頭に浮かんでしまうのだ。
・・・・・・・いつの間にか、俺は眠れたようだった。
遠くで、なにやら母親の叫ぶ声がしているような気がした。
なんだろうか。
浮いているような感覚だ。
あ・・・また母親の叫ぶ声が聞こえる気がする。
さっきよりも、声が大きくなったような・・・・
突然、俺の左頬に痛みが走った。
なんだ・・・・
・・・・・なんだ。
頭がボーっとしている。
視界がぼやけている。
なにがあったのだろう。
俺は何をしていたんだろうか。
悪い夢でも見ていたのだろうか。
・・・・だんだん視界がはっきりしてきて、聴覚も戻ってきたようだ。
目の前には、涙を浮かべた顔の母親がいる。
そして、俺の名前を叫んでいる。
よく分からないが、俺は母親に聞いた。
「・・・・・あれ?母ちゃん?どうした?」
「ああーーー、サトシーーーー!サトシが口をきいてくれたーーー・・・・・なにがあったのーーー?お母さんに相談してくれれば、お母さんに相談してくれれば・・・・あああーーー!」
母親は号泣してしまった。
どういうことなのだろうか。
俺たち親子は、外にいるようだった。
母親はかろうじでサンダルをひっかけていたが、俺は裸足だった。
いったい、何が起こったのだろう。
何も覚えていない。
俺は確か、昨日は早めに眠ったはずだったが。
周りはうっすら明るいけれど、明け方なのだろうか。
何もかもが謎に包まれていた。
・・・・・・その後泣き止んだ母親が言うには、俺が例の曰く付きの木で首吊り自殺をしようとしていたというのだ。
母親がトイレに起きると、物置の方からガサゴソと音がしたらしい。
「泥棒かしら?」と心配し、物置まで見に行ってみたそうだ。
すると、自分の息子(俺)が物置を漁っているではないか。
声をかけても反応なし。
俺は、物置から1本の縄を掴むと、ふらふらとした足取りで家の外に向かったのだという。
靴も履かずに外に向かうその様子は明らかに異常だと感じたそうだ。
母親が後をつけると、なんと自殺の名所の木に縄を結びだしているではないか。
何度話しかけても、行動を止めようとしても、まったく反応が無い。
まるで死体に話しかけているようだったと母親は説明していた。
そして、ついには首をつろうとした俺の頬を思いっきり叩いたのだという。
叩いたらやっと声を出してくれて「ああ、サトシが正気に戻った!」と泣き出してしまったらしい。
これらすべてのエピソードを、俺は全く覚えていないのだ。
俺が覚えているのは、彼女にフラれてふて寝してしまったことだけ・・・・
よく分からないが、もしかするとこの首吊り自殺の木にはなにかの怨念のようなものが宿っているのかもしれない。
そして、その怨念に操られて俺は自らの命を絶とうとしていたのかもしれない。
そう考えると、背筋が凍る。
母親に助けてもらえて、本当に良かった。
この話にオチはないのだけれど、俺にとっては心底ゾッとするような話なのだ。
終わり